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マクドナルドで夕食を?

Macウォッチングの思い出。
スローフードに10年以上関わり、世界大会的なイベントにも2度参加したスローフードガチ勢な私ですが、マクドナルドウォッチャーです。1971年に日本マクドナルドを創業した藤田田(ふじた でん)氏のダイナミックなエピソードも興味深い企業。でも一番の理由は、他よりもわかりやすく自己開示を続ける企業だから。自分の価値観とだいぶ違うにしても、一貫したポリシーを感じて惹かれるのかも。変わらないものを見て己を知るのはいいけど、その変わらないものがマックだとはね…。

外食関連記者だった私がマクドナルドに持つ最も強烈なイメージは、20世紀の流通業や飲食業を席捲した「チェーンストア理論」の最強モデルの一つだったことです。もと讀賣新聞記者の渥美俊一氏はアメリカ生まれのチェーンストア理論を日本に紹介し、多くのケーススタディで補強して経営者に直接指導。日本マクドナルドの成り立ちにも深く関わられた、経営者のメンター的存在です。

1980〜90年代、先生のアメリカ視察セミナーを担当したり、連載を頂いていたのが隣の編集部のK編集長。収録日が決まると若手もぞろぞろついていき、編集長と舌鋒鋭い渥美氏のQ&Aの様子を見学できました。場所はいつも、渥美氏が主宰し全国の流通業やチェーン企業の経営が門下にあった「ペガサスクラブ」の執務室。有能で控えめな秘書の方が招き入れてくれるまでの間、前室にドーンと据え置かれた柱時計の「寄贈 中内功(もとダイエー会長)」の金文字を眺めていました。当時は簿記も知らず、先生の著書を二冊しか読まなかった私はわかったふりをしていただけでしたが、それでもこの連載対談は面白いことだらけでした。流通と飲食の産業構造の違い。USと日本の商売の違い、お客のニーズの違い。スケールメリットをどのように理解し実践するか。生業店から多店化への道筋とは。フランチャイズ制度の弱点、人材教育のマインド、リアルタイムで変容する経営モデル。次は一体どうなるんだ、といった読者の生々しい問いをぶつけるKさんや先輩方に対して、先生が返すよどみない答えと論破と書けない話と、たまの雷。1970年代(何年か忘れてしまった)にセブンイレブン豊洲店から始まったCVS(コンビニ)に対してはいち早く「外食の真のライバルは同業他社でなくコンビニだ」と指摘されていました。高度成長期からバブルを経てなおしばらく、商業で社会に貢献するという希望の道筋を示し、それが業界トップらのマインドにも影響を与えていました。(ニトリの似鳥社長がNHK-Eテレで渥美氏について「私が最後の弟子」と語っていましたが、そういう経営者の方は他にもいそうです。)企業の多くが「スケールメリットの社会還元」という正義を信じていた時代です。

20世紀の日本マクドナルドは「1971年に銀座に一号店が上陸し、その他の黒船企業と共に日本のFFS(ファストフードサービス)成長競争を始めた…」という、いわば外食業界ドラマの主要キャラです。藤田氏時代の日本マクドナルドは直営主義だったはずですが、その後フランチャイズへ舵を切った時期があり、今は再び直営率が圧倒しています。今読める記事は、2014年の中国で偽装されたチキン事件からのV字回復以降の話題が主です。そこには「カスタマーに会って聞く」という社長の行動規範が度々出てきます(例えば社長自ら子育てママとのタウンミーティングを300名以上と行うなど)。20世紀のマーケティング予測は、勝利を納めました。振り返れば私たちは、共働きの増加→時短したい→中食外食活用→価格が手頃なファストフードが「食事」と認識されるようになる、という外食産業が描いたシナリオ通りに進んできました。1990年代にイタリア進出したマクドナルドに対して、イタリアの料理雑誌編集者らスローフード運動家が家庭の心温まる食卓の対立項と捉えて論評し、一部の人々が打ち壊そうとした出来事は、昔のことに見えてきます。

ところで、私の人生初マックはクオーターパウンダーとポテト、セブンアップMサイズでした。初めて渡米した1976年のことで、確か中1の春休み。コロラドスプリングスのホストファミリーは空軍勤務のご家庭で、空港で迎えてくれたお父さんが運転するフォードのワゴンに乗り込み、そのまま一家でロードサイドのマックへ。(さすがアメリカ、いろいろとデカいぜ。)って驚いたし、完食したからそれなりに気に入ったはずなのだけど、あの独特のフライヤーの匂いと欧米独特の超うす暗いテーブルの雰囲気に、(これが日曜の晩ごはん⁈  ヤバいとこに来ちゃったかも…)と思いました。出発前にファミリーへ書いた手紙の返事がもらえなかったせいもあったかもしれません。

その時の侘しさ、物足りなさを今の日本のマックに重ねようとしても、明らかに何か違います。でも、マックの価値観はずっと変わらない、いや改善の一途です。マックは昔も今も全力で、「より多くの人のために、手頃で、まあまあおいしく、安心で温かい食べ物を、できるだけいつでも」提供するというミッションを果たそうとしているはずです。日本では2014年の中国産チキンの消費期限偽装事件の後、全原料を公開するようになり、他の外食チェーンにも影響を与えました。風評被害に対しても、パティの仕入れ先の国内精肉大手のファクトリーツアー動画を公開していました。幼児から大人まで嫌いな人のいない魔法のメニュー・フライドポテトは、三井物産が冷凍輸入してくれます。圧倒的購入力で安く仕入れるから、時にはクーポンが貰えます。こうして、世の中の不自然に見えるものにだって人の情熱や手間はかかっています。世間の他のものと同じくらい、工夫や知恵の積み重ねでできています。感情だけで自然はいい、人工物がだめなどと言うのはナンセンスです。

もし今、マックで晩ご飯を済ませようか、と誰かに言ったとしても、私自身あの強い侘しさは感じないでしょう。それはたぶん、自分の価値観がもう変わってしまったからなのです。家に帰ればお母さんがいて、温かいご飯がある。そんな家を私はつくれなかったし、そもそもつくりたい気持ちが薄れています。子育てがなんとか終わり、人と囲む食卓はたまの楽しみ、お祝いや記念のためになりました。母がしてくれたことを私は踏襲していません。それは価値観の変化であり、女性モデルの変遷であり、インターネットのない時に生まれて自力で進化してきた世代の本音であり、取り立てておかしなことでもないはずです。なのに私は、これからもどんどん変化の波に乗ってやろうと前向きな一方で、切ないような危ういような、なんとも言えない入り混じった気持ちになっている。不思議です。

 

それに比べて、マックはすごいね。正しいことが変わらなくてさ。

 

付記1)マクドナルド打ち壊しの逸話は象徴的に行われたものだったと言われていて、私の関わってきた21世紀のスローフード協会はもっと建設的な活動になり、北米の校庭に畑をつくって生徒が自らまともな野菜を食べるよう働きかけたり、アフリカの飢餓に対して畑をつくる運動をしたり、欧州で遺伝子組み換え種子導入に反対してロビー活動を行なったりするのですが、それは20年後のお話です。

付記2)  1976年のUS旅行はド緊張のホームステイの後で思いっきり遊ばせてくれる旅程で、サンフランシスコやロスに行きました。ユニバーサルスタジオで映画「JAWS」のアトラクションで絶叫して、TVで見てた「バイオニック・ジェミー」のスタジオセットで写真撮って。からの、当時はUSにしかなかったディズニーランドも楽しかったな。当時の包装紙やHallmarkのグリーティングカード類も本当にかわいかった。お小遣いの中から青リンゴのシャンプーリンスを自分用のお土産にしたっけ。TDLもUSJもない頃、1ドル360円時代(!)に行かせてくれた両親に感謝しなくちゃ!

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