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見送る姿勢

「カプリカプリ」オーナーシェフの塚本孝さんは、愛嬌あふれる笑顔が印象的で、誰もが思わず親しみを感じてしまう人。八王子ご出身で、大阪の辻調理師専門学校を卒業後はバブル期の六本木「ドマーニ」ほかで経験を積んだと聞いていた。札幌・豊平区で開いた「カプリ カプリ」は市内でも本当に料理が好きな人が通う、いわば知る人ぞ知る存在。アンティパストからこんなに手をかけていいの?と驚くような気合の入った料理を出していた。料理のクオリティに惚れ込んで、本州から札幌に出張でくる方たちなどは帰りの飛行機の時刻をタクシーに知らせておき、時間いっぱいまでワインと料理を楽しむ、という話も聞いていた。札幌市のど真ん中、テレビ塔近くに移転してからはさらに多くの人の目に触れるようになり、札幌らしい鮮度の良いイタリア料理を肩の凝らない雰囲気で楽しめる、食いしん坊たちの大切な場所になった。

料理はひとつひとつ近郊の食材を吟味し、新しい店の厨房でも引き続き、骨惜しみせず手をかけて作られていた。料理人に人気の足寄・石田めん羊牧場のサウスダウン種を使える数少ないレストランで、またご夫婦で結構な広さの畑を始めてからは、朝摘んできた美しいズッキーニの花の詰め物や、毎日採るのが大変だといっていた自家製ミニトマトをセミドライにしてたっぷり使うソースも評判になった。移転前から道産小麦でうまいパスタを打ち店で出すパンを焼く、道産小麦を使いこなすパイオニアでもあった。北海道のスローフードのシェフとして海外出展に参画された。私とは道産食材の勉強仲間で、研究会の場を提供して下さった。三笠高校ではプロ現役の先生として人気だったという。全国誌や地元誌の取材も度々させてもらった。去年はラジオにゲスト出演して頂き、半月前、道庁の食品審査会場でいつもの笑顔でお喋りしたばかりだ。

塚本さんは働き盛りの50代で持病もなかったそうだ。以前、足を怪我した時は辛そうでカムチャツカの釣りにも行けないと嘆いていたけれど、その後体のメンテナンスを心がけている、もうすっかり大丈夫と言っていた。それなのに2023年2月7日、塚本さんは突然いなくなってしまった。釣りに出かけた先で急に気分が悪くなり、一緒のご友人が気づいたが遅かったという。こういう時、周りが理由を知りたがるのはあまり好きではない。でもお通夜で故人のお顔を見た瞬間、「何でだよ……」と声に出てしまって気づいた。周囲の詮索というのは、時には自分なりの納得を探した挙句にそうなってしまった、やり場のない気持ちの成れの果てなのかもしれない。

参列後「寂しくなるね」と声をかけてくれた人に頷いたけれど、私は皆より随分、のろまらしい。今までいた人がもういない、それを認めるまでの時間の途中にいる。


 

バカリズムさん脚本のTVドラマ「ブラッシュアップライフ」を、どなたか見ただろうか。私は配信で何話かを見た。30代で亡くなった女性が命の受付カウンターのような場所にたどり着いては、何度も戻って生き直すという物語だ。2回目の人生で、主人公は前回より長生きするため徳を積もうとするが、なかなかうまくいかない。何度も生き直すうち、ある幼なじみが同じタイムリーパーだとわかり、結託して共通の友達の不幸を防いだりもする。しかし、誰かがつまづくのを防ごうとすると、また新たな影響が起きるので、1カ所手直しするだけでは済まなくなる。そして生き直しの最終回(があるという設定だ)になった時、主人公は来世のためでなく今世のために行動しようと決心する。この先主人公は、1度目の大きな悔いを防いで自分と身近な人々の人生のルート変更に成功するのか…というところ。

ドラマはまだ終わっていないし、もっと別のこともたくさん描いている。いったいどこが響いたのか我ながらわからない。でもなぜか、心が少しだけ軽くなった。たぶん、身の回りの世界を守りたいのは自分だけじゃないと感じさせてくれるから。

世界は複雑で、直しても直してもほころんでしまう、というのが私の子供の頃からの思い癖だ。だが、この主人公は運命を少し違った形で生き直し、連鎖して周囲も小さく次々に変わっていく。選択肢は無限で、その乗数分だけ世界も変わる可能性を持っている、ような気がしてくる。

 


 

2023年2月、武藤敬司選手が引退した。1990年代、プロレスと格闘技の抗争の時代が好きだった。あの対立は共に輝くことのできる“対話”で、それ自体がプロレスだった。やらせ一切なしが売りの新派閥、UWFインターナショナルの筆頭だった高田選手を、武藤は大昔のプロレス技である四の字固めひとつでギブアップさせ、新日本プロレスの誇りを見せつけた。アメリカから帰国してまもない、華のある存在だった。

引退試合の相手は、武藤に憧れて新日に入門した新世代のスター、内藤哲也選手。武藤本人が語っている通り、これが”猪木の新日”の最終章になった。両膝に人工関節を入れた60歳はリングで観衆を魅了し、亡き同僚の技を繰り出すことで過ごした日々を表現し、鮮やかに散ってみせた。武藤とグレート・ムタの二つ名を持ってそれぞれの名で2度の引退興行を行い、その一連がプロレスらしく興行ビジネスによって隅々まで見せ尽くされた。そこに悲劇性や消費される虚しさはなくむしろ未来を感じるのは、武藤の明るいキャラクターゆえだ。そしてもうひとつ、人間として余力を残して去るという決断にあったと思う(真っ白な灰になって終われるのは漫画だけで、現実の選手にはその後の人生がある)。この試合はきっと今後も次世代をインスパイアし、プロレス愛を今に繋ぎ、同世代のレスラーたちの足跡を輝かせ、何よりもペイパービュー(有料配信)の成功によって、日本のプロレスのコロナ後の興行モデルとして業界を変えるだろう。

終わることで、次がある。それが人々を勇気づける。
そんな終わり方があると教えてくれる試合だった。

 


 

塚本さん。終わりってふと来るんですね。みんなはあなたの分まで頑張ろうと言っていたけど、私はどうすればいいかな。

マダムが皆さんにお話しされたことがとても印象深かった。不安な世情につけては「悔いはない?」と、ご夫婦で確かめ合っておられたということ。

ならばどうぞ心軽やかに、どこかにいてくださいね。みんなも私も、塚本さんがいればなあ、と思うことは当分続くだろうけど、今を生きることを楽しみます。

笑顔と優しさとおいしさを、ありがとうございました。

 


※思い立って、塚本シェフが肉声で語ってくれた番組の再生リストを作りました。

2022年OA  ほっかいどう食文化研究室 塚本孝さん回まとめ

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