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余市スイーツコンテスト2013〜2014

2013年、2014年の2年間、北海道余市町で、果樹園のスイーツコンテストが行われた。と言っても町の催しではない。北海道大学農学院の小林国之先生率いる院生チームと民間団体の余市エコビレッジが実施した、一から手作りの催し。

余市町はニッカウヰスキー余市蒸留所があり、ワインづくりも盛んな果樹地帯。海もあり、札幌民にとってはウニ丼ドライブの目的地。余市に農園をもつ北海道エコビレッジ推進協議会代表の坂本純科さんとは、スローフードフレンズ北海道の湯浅優子さんの紹介がご縁で、規格外品の活用を相談されたり、エコビレッジに泊めてもらったりする友人だ。私は業界記者で、菓子職人エッセイを連載したり、他の地域スイーツイベントに関わったことから、この初めての試みをお手伝いすることになった。「余市フルーツのお菓子コンテスト」というのは北大院生チームのアイデアで、学生たちにとっては農村と都市部をつなぐ試みであり、実地の学びでもある。

開催概要は、プロアマ両部門で「余市のフルーツを使ったお菓子」の味と思いを披露してもらい、会場で試食とプレゼンテーションで競うというもの。
2013年は余市町のみがテーマで、会場は余市ワイナリー内レストラン「エスペリオ」。
2014年は仁木町も加わって「余市仁木スイーツコンテスト」となり、会場は「フルーツパークにき」。
2014年の募集要項はこんな風でした。
プロアマ両方から募集。一次審査は審査員がレシピとエントリーシートで特に素晴らしい方を選ばせていただいて、

 

2次審査は実食と果樹園愛のプレゼン。会場の市民審査員を公募。

2014年の活動は北大チームが作ったHPFacebookページでもみられます。

一方、我々大人の側にはもう一つ思いがあった。純科さんは農産物の発信方法を求め、私は単発事業への反省から、実施後に地域に残るものについて考えていた。コンテストづくりの過程はたぶん、純科さんが農場に暮らして考えてきたことを、都市の側から捉え直すような作業だったと思う。(学生チーム側では、2年通じて関わった田村宗平君が、この企画を題材に卒論を書かれたのが印象深かった。元気かな。)

純科さんとの間で描いた(ふんわりしているけど肝心な)ゴールはこうだ。

1. 共生産関係*の始まりとして、生産者と生活者(消費者)のふれあいを作る

*共生産関係: 生産→消費が一方通行/対立項ではなく、互いを理解し必要とする関係を指す。消費者は消費するだけでなく生産を成立させる役割の一端を担っている。
参照: スローフードインターナショナル

2. 加工者に、果樹園の魅力を伝える

3. 果樹園や果物の事を、できるだけ色々な人と共に学ぶ

さて、実際コンテストの成果はどうだったろうか。

1について。
市民参加型のコンペにするため、専門家審査員の他に一般審査員を公募し、本選では試食だけでなくプレゼンテーションを行った。公募で参加してくれた市民審査員(全部食べて、投票できる!)はもとから食に興味の強い方々。会場で農家さんの生きた言葉を聞き、選手のプレゼンを聞いたことで共感が高まる。会場は盛り上がり、SNSでも事後に感想を書き込んでくれた人が多かった。余市農協は特別賞を提供、組合長が参加された。2014年は余市と仁木の2つの町長賞も設けられた。

また、審査や出場で関わってくれたパティシエや専門家やホームベイカーの皆さんと、果樹生産者の間にも顔の見えるつきあいが始まった。審査員探しでは、私が作った長い「産地を意識する使い手リスト」を見た純科さんが一軒一軒全員に会いに行ってくれた(この行動が私にもスイッチを入れ、結果的に審査のまとめ役も引き受けることになった)。専門家審査員を引き受けてくれたのは、以下の皆さんだ。

2013年:

ケイク・デ・ボア 森 伸司パティシエ

アンデリス 佐々木 芳雄パティシエ

レストランエスペリオ 矢野 店長

フードコーディネーター範國 有紀 先生

もう一つ、お祭りやイベントで地元の方々へお菓子や話題を還元したことも挙げられる。これについてはすべて、北大チームとエコビレッジの皆さんの頑張り、そしてパティシエのみなさんの協力で実現した。私は見にいけなかったけれど、特に町最大のイベント「余市産業まつり」に出店された時は町内産果物の新しいお菓子として大人気で、農家や製造者の皆さんにとって我が子の晴れ舞台のようだったと聞いて、陰ながら嬉しかった。作物は人に届いてやっと成就するように思えるからだ。

 


2について。
コンペの一次審査と本選の間には、スタディツアーが行われた。エントリーして一次書類審査を通過した選手たちは、果樹園を巡って農家から直に説明を受け、雄大な風景を楽しむ半日ツアーに招かれる。こうしたファンサ的な要素を多めにすることで、コンテストの過程そのものがファン作りになると考えた。訪問先の余市水産博物館で果樹栽培の歴史に触れた後で実際に農家にお邪魔したり、農家では「収穫期に手が足りない、そんな時こそ保存食作りや加工をしたいのにとても無理だ」という生の声を聞いたり、学生はもちろん審査員も私も実施のヒントをたくさん頂いた。果樹園で昔の品種から新しい品種まで次々にリンゴを齧らせてもらったりプルーンの接木を見たりしたことは、選手の聞き取りでは最もインパクトが強かった。本選のプレゼンテーションでも各自のストーリーが語られた。また、引き続き余市に通っている審査員のパティシエさんは今年、果樹農家の商品化事業のアドバイザーを引き受けたという。一度の出会いがひそかに実業に影響していくと思うと、わずかな歩みにも勇気が湧いてくる。

 

3について。
私を含むスタディツアー参加者が、よいち水産博物館の浅野敏昭さん(現館長)のお話を聞けた事が、その後さまざまな活動をインスパイアしてくれた。地元ベテラン農家をめぐるツアーで、代々続く果樹農家さんの生の声を伺えたことも印象深かった。みなさん古い樹を大切にしておられた。エコビレッジが独自に続けるエコカレッジという実践講座では、果樹園やワイナリーとの学び合いが行われている。2年間のコンペ実施が終わった後も余市の果物を取り上げ、講座の実践編として自家栽培ブドウのワインの委託醸造と、緋の衣プロジェクトの2つの取り組みを継続中だ。


実は、パティシエさんと果樹園の関係は、2021年の今も続いている。市民審査員としてイベントに参加してくれた皆さんからと、そのまたクチコミで、コンテストにエントリーされた方のお菓子がまた食べたい、売って欲しいという声も聞く(製造許可のとれる厨房が必要。ゴーストキッチンは都会だけじゃなく産地にも必要だ)。何より、余市に通ってくれるパティシエさんや専門家がわずかながら増えた。これは、余市の果物を使った商品が生まれて生活者に届いているということだ。一軒のお店にはそのまたファンがたくさんいる。そして「美味しいね」「これ、余市のリンゴなんですよ」といった会話が起きている(実際に店先で何度も見かけた)。こうしたコミュニケーションの積み重ねが、生活者が余市のリンゴを知ったり、店先で選んだり、時には果樹園へ立ち寄るなど、小さな行動変容に影響していることを願っている。

余市リンゴの話は「余市りんごの冬まつり」顛末記 に続きます。

 

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私の通信費の行動変容はこちらです。早くすればよかった(^_^;)

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